越後三条職人列傳
重房を継ぐ(3)
岩淵 一也

使い込んだ割烹まるみの包丁(1番下が身卸)  重房がひとり立ちして包丁作りを志した昭和45年は、いざなぎ景気が終焉を迎えた年である。
包丁もむろん景況に疎遠とはいかない。それなのにどうして重房は調理人の使う、高価な刃物作りを志したのか。普及品を作るという選択だってあったはずだ。
理由はいろいろに挙げられようが、岩崎航介・重義親子の薫陶を受け継ごうという意識があったことは間違いない。 前年の44年には岩崎航介の『刃物の見方』が上梓されている。そこでの修業でいい刃物への憧憬が刻み込まれている。 これからの研鑽次第ではどんな包丁が作れるか、そんな期待もあったろう。
長島宗則という技の師を得て、重房の包丁作りがスタートした。
 手間隙かけて作った包丁を問屋に持ち込む。「いくらだ」と聞くから「3千円です」と答えた。 普及品が5〜6百円の時代である。しかし手間を考えるとどうしてもそんな金額になってしまう。問屋は「高いね」といったきり見向きもしない。そんなことが何度もあった。
 重義さんの紹介で日本橋の三越デパート前にある木屋という刃物屋に持ち込んだ。木屋の社長は「おもしろいねえ」と言って包丁を引き取ってくれた。
木屋はいいお客を抱えていた。ある時など、重房の包丁を全部買ってくれた人がいたという。若い刃物鍛冶を育ててやろうという粋な考えがあったのではないか。 とはいえ売れ行きは芳しくない。いつだったか切出しがブームになった時がある。木屋は千代鶴の図面を見せて切出しを作れという。千代鶴は稀代の名工である。 そんなことで凌いだ時期もあった。
 重房の刃物のよさはどこにあるか。高くても売れる理由はなぜか。これはなかなか答えにくいだろう。
てっとり早いのはどう使われているかを見ることだ。この列伝に登場したことのある割烹まるみの主(「旬を捌く」の高橋一衛)に聞いた。
写真は高橋さんが使っている柳刃と身卸包丁である。1番上が3年前から使っている尺の柳刃。2番目が二代目の九寸柳刃。 その下が昭和42年頃から使っている(初代)九寸の柳刃である。40年間使っているが今も刳り物には欠かせない包丁だ。 内側に円くくぼんでいるのは、研ぐ時にどうしても真中に力が入りがちだからだという。
重房の包丁のよさはこの写真に尽きるが、言葉で説明すると次のようになろう。 まずバランスがいい、使い勝手がいい。熱処理が不十分だと長い間に鋼のほうへ曲がりがちだがそうならない。使うには少し重い感じがするが、切れば確かな手応えを返してくれる。
次に長切れすることか。長切れとは一回の研ぎで長い時間切れる、という意味だ。砥石当たりがいいから全体が真っ直ぐ早く研げる。
「調理は生き物の命を奪うものでしょ。そこに包丁が介在する、いい包丁じゃないと申し訳ないじゃないですか」まるみの主はそう言って丸い目を細めた。
 工程をたどりながら重房包丁のよさを見ていこう。
重房では複合材(地鉄と鋼を予め付け合せた材料)を使わないから、作業は鋼を所定の形にする鋼作りから始まる。
鋼と地鉄を鍛接した後、接合具合を見るためグラインダーで削る。火造りは950度くらいから順次温度を下げながら形と組織を整えてゆく。 ナマシに続くナラシの後の金肌(表面の酸化膜)は丸い砥石で削る。
 重房は注文ごとに作るから一回あたり作るのは10丁とか20丁、多くて30丁どまりだ。形状、大きさの違いを入れると多品種少量生産ということになる。
工程には入れていないが、火造りの各段で箸で掴む部分を折り曲げる。これは多品種のため箱箸を使わないので持ちやすいように曲げるのだ。 裏、表の厚さを整えるため形作りの終ったものをセンで削る。

(題字:瀧澤晨霜)
(写真:捧 忠昭)

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