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蒸して柔らかくしてあるので、切るのは思ったより簡単にみえた。切り分けられた車麩は紐を通して乾燥させる。二米長さの筒状の焼麩から、22枚の包み(11枚宛て2列分)が5つ出来るというから、昨日の4層巻き一カマからだと2百包みの計算になる。
車麩のことがわかるにつれ、他人事ながらなんとか消費量を伸ばす方法はないかと考えてしまう。
業界も座していたわけではない。車麩を使った料理のレシピを紹介し、良質な蛋白質だと宣伝に努めている。衣を付けて揚げればトンカツのような食感だというし、薄く切ったのをすき焼にすれば肉の食感を味わえる。しかし、消費が伸びたとは考えられない。
スローフード復権と聞くのに、車麩が脚光を浴びる時代は来ないのだろうか。ダイエットにいい、離乳食として優れているのであれば、消費拡大の切り口はありそうだ。ここはひとつ、みのもんたや東海林さだお氏の力を借りてなどと、つい肩入れしたくなるのだ。
鍛冶町で作った町内誌がある。ひとつは鍛冶町好友会10周年を記念して発行された『あゆみ』で、いまひとつは20周年の『かじまち』である。
傘鉾作りや表通りを歩行者天国にした催し、町内祭り、趣味のクラブや旅行。中には血液型名簿の作成などというものもある。 掲載された写真の中に若き川瀬國雄の姿もあった。八幡宮で遊び、信濃川の堤で魚釣りに興じる、そんな少年時代を過ごし隣近所が親密な町内で育った川瀬さんは、この町に語り尽くせない思いを抱いているのではないか。
私が職人さんの人となりを、その少年時代に遡って伝えようとしているのは、職人のモノ作りへのこだわりが、育った環境や生活、少年時代の遊びや友達などと無関係ではないと考えるからだ。そう考えると、目の前の車麩が単なる食材のみならず、少年時代への橋渡しをするかけがえのないモノに変わるのだ。
みぞれが雪になっていよいよ冬の到来である。 これが最後の取材だと思うと感懐なきにしもあらずだ。作業場の中は外の寒さを忘れさせるほどの温かさだった。この前訪れた時とたたずまいに変わるところはない。1年前も、5年前だって同じだったのだろう。
川瀬さんは4回目の焼きに入っていた。グルテンを伸ばし時計回りに巻き、それを焼成炉に入れると作業台に運ぶ。 「麩作りで川瀬さんがこだわっているのはなんですか」そう訊ねたが騒音にまぎれ聞こえなかったらしい。
「ここだけはきちんとしたいと心がけているとこは」 仕事の手を止めて少し間があった。 「そうですねえ、同じものをね。同じ品質のものを作ろうと:‥」粉は温度によって微妙に違ってくるし、体調を崩せば製品に影響する。1年365日、同じ品質を保つことのなんと難しいことよ。
奥さんは黙って攪拌器を磨き上げている。羽が鏡のように光り、電灯の明かりを弾き返す。
換気のために3分の1ほど開いた戸の間から冷気が吹き込んでいる。 「暮れは30日まで仕事ですか」6時に巻き付けが終ると川瀬さんはホッと表情を緩めた。作業台の上を洗い流すと、後は焼き上がったものを棒から外す。両端から湯気が出ている。棒はきちんと立てかけて仕舞う。
「読んでますか」以前「趣味は?」と訊いた時に恥ずかしそうに読書と答えたことがある。エラリー・クイーン、横溝正史、高木彬光、森村誠一。高校生の時から推理小説に夢中だった。奥さんも加わってしばらくは読書談義になった。奥さんもなかなかの読み手らしい。
最後の一本が炉から取り出されて機械が止まった。作業場に静寂が戻り、ほどなく明かりが消えた。
(題字 瀧澤晨霜)
(写真 捧 忠昭)
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