越後三条職人列傳
忌鍛冶の和釘(3)
岩淵 一也

 「伊勢神宮御遷宮金具製作委員会」は、当時三条工業会の会長だった下村栄蔵氏を委員長に7名で構成された。副委員長を岩崎重義氏が務める等、そうそうたるメンバーである。
 これから暫くは委員会で作成した『伝統技術の記録』をもとに、和釘と金具作りを振り返ってみよう。
 委員会は平成元年8月にスタートした。伊勢神宮から届いた見本と図面をもとに製作の分担を決め、技術的な課題について検討を進めながら、試作品を作り上げて行く。翌2年5月には和釘6万8千2百本(5種類)、金具1万3千5百80本(24種類)製作の正式契約にまでこぎつける。
 内山吾三郎工場はそのうち和釘2種類、およそ5万本余を製作することになった。製作の中心は昭吾である。普段の仕事に加えてだから忙しいが、これ以上望めないほどやりがいのある仕事である。反面、緊張の持続を強いられる仕事でもある。
 幸い、昭吾が退院した昭和50年頃から神社仏閣の工事が盛んに行われるようになり、吾三郎工場でも和釘作りの実績を重ねていた。問屋からの注文で作るからはっきりした納入先を把握しきれないが、白石城、会津若松の鶴ケ城、広島城などで使われたものは内山が手掛けた和釘である。
そういう裏打ちがあったからこそ、三条に和釘製作の打診があったという新聞記事を見て、参加の意を決したのだ。神宮から届いた見本を手にした時、(これなら自分にもやれる)という確信が生まれた。
 昭吾が担当した2種類は、蛭頭釘と階折釘である。2種類だけだが寸法が様々で、階折釘だけで10種に分かれる。今まで作った和釘との違いは寸法の大きな和釘のあったことだ。どこでどう使うのか見当のつかない釘が多かった。
 平成2年2月に開かれた7回目の委員会で試作品検査があり、神宮側から高い評価を得た。木部に打ち込まれる部分も平滑に仕上げたが、凹凸のあった方が抵抗があって抜けにくいから、もっとラフな仕上げでいいという指摘があったくらいだった。三条の伝統技術の優秀さが認められたのである。
 蛭頭釘は文字通り田んぼなんかにいる蛭の頭の形状をした釘である。金槌で打ち込む頭の部分にしのぎを作る。これは打ちやすいようにした工夫だろうが、打ち込んだ後の美しさも計算に入れた釘と考えられる。伊勢の工房で作っていたものはこの部分が火造りされていたが、量的なことも考え神宮側の許可を得て打ち抜きにした。型は大阪で作ったが、厚みの関係からうまく打ち抜くまで試行錯誤が続いた。また、見本品には頭部に防錆を兼ねた漆が焼き付けられていたが、これも何度か試作を重ねて化学塗料に代えた。防錆はむろん、色も風合いも焼付け漆に負けないものである。伝統技術も基本をきっちり踏まえながら、新しい進化が必要とされる一例だろう。
 階折釘は頭部がL型になった釘である。これも大きさ角度の違いがある。
材料に鋼を使い火造りして作る。
 神宮で使われた和釘にはその他、巻頭釘(頭の部分をいったん平たく加工し、それを薄紙を丸めるようにして丸めたもの)、丸頭釘、平頭釘があり、これらは小由製作所が担当した。
 これは筆者の筆力不足が主因だが、文字で形状を正確に説明するには限界がある。確かめたい向きは、三条市の郷土資料館に陳列されているのでみられるといいだろう。
 ともあれ試作品が合格となったので、いよいよ本格的な生産が始まった。加工するための箸、金型、冶具などを揃える。箸は釘の種類、大きさによって使い分けるので10数種類を新しく作った。あとは根気と道連れの仕事だ。なんせ5万本余を叩き出さなければならないのである。


(背景題字・瀧沢晨霜)
(写真・捧 忠昭)

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